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2021-06-18

ゲーム脳の嘘と真実

 創作復帰。それと同時に数ヶ月のあいだ真面目に取り組んでいたPvPゲームをすっぱりやめた。どうも私の脳みそのゲームプレイに使用する部分と創作に使う部分は同じ領域らしい。


A⇄B ❌


 そう。どちらかしか成り立たない。ちなみにPvPとはプレイヤー対プレイヤーであり、つまりPvPゲームとはにAIやbot相手ではない人対人のゲームを指す。


「ゲーム脳」なる"言葉"="理論"がある。ゲームばかりしていると脳の機能が阻害され学習能力が低下するという、まあ、そうだよねと誰でも思いつきそうな発想に"ゲーム脳"なるキャッチーなラベルを貼った理論である。


 しかしこのゲーム脳、PvPにおいては脳機能の低下どころか、逆に、想像力や記憶力の活性化が認められるとの、とある研究者の論文を読んだ。


 低下or向上?さあ、どっち?


いずれにせよ「こうだ」と決めつける人は物事の一面しか見ていない。


 さて、私の脳みそはゲームを欲しなくなった代わりに物語を求めるようなった。物語の先へ、さらにその先へ。まあ、先走りすぎると息切れを起こしてしまうだろうが。


 教訓および助言→私へ。頑張りすぎないように。ほどほどにかっ飛べ。

2020-01-13

映画レビュー「オール・ユー・ニード・イズ・キル」



◯Movie  review "All you need is kill"


一度も失敗をしたことがない人は、何も新しいことに挑戦したことがない人である。
〜アルバート・アインシュタイン


2014年アメリカ映画
出演 トム・クルーズ
   エミリー・ブラント

 私はアクション映画が好きだ。しかしメインキャラが立っていないアクションは観る気にならない。

 チームよりも一人のヒーロー。だから人気のアニメ「ワンピース」や「ぼくらのヒーローアカデミア」よりも「ワンパンマン」であり、「ワイルドスピードシリーズ」より「007シリーズ」が好きだと言えば理解いただけるだろうか。

 さらにヒーローは強くなければならない。戦いの最中に己の弱さに苦悩したり、そのせいで仲間が犠牲になるなどあってはならない。そんな主人公は不愉快で見たくない。

 圧倒的に強いジェイソン・ステイサム出演の作品はあらかた観てしまった。何か面白い作品はないかと物色していたところのトム・クルーズである。

 私の中でトム・クルーズ作品は微妙な位置にある。有名なミッション・インポッシブルシリーズは、物語中、主人公のイーサン・ハントはよく失敗する。
 敵の罠にかかり、追い回され、間一髪で切り抜けて結局は勝つのだが、観終わったあとにモヤモヤする。

 だからこの「オールユーニードイズキル」という長い名前の作品も、今までは食わず嫌いでスルーしてきた。しかし映画のあらすじを読んで観る気になった。

 トム・クルーズ演じる主人公は戦闘能力ゼロの広報担当将校だ。エイリアンと戦争中の軍隊にとっては役に立たない。ある日司令官から最前線に行けと命令され、逃げようとするがすぐに捕まってしまい、脱走兵として将校階級を剥奪される。そして前線に送られてあっけなく死んでしまう。でもなぜか次の瞬間ハッと目が覚めると出撃前日に時間が戻っている。これが延々と繰り返される。

 エイリアンに殺されては戻り、また死んでまた戻る。その繰り返しの中で少しずつ学習していき、死なないように強くなってゆく。ゲームオーバーとコンティニューを繰り返し、次第にゲームが上手くなってゆくのと同じだが、毎回の死に方が悲惨で痛々しい。
死んだ方が楽だ。

 能無しでカッコ悪かった主人公が強くカッコよくなってゆく過程が良い。頑張る動機が、正義からではなく、大切な女を守るためなのが潔い。





2019-11-21

ブックレビュー『ナイトフライヤー』ジョージ・R・R・マーティン


George RR Martin "Night Flyers "


 アメリカではとっくに最終章が放映されたが、私のAmazon prime videoの無料視聴ラインナップには未だにエントリーされていない。「ゲーム・オブ・スローンズ」のことだ。この映像作品を知らない方はこの先の文章を読んでも面白くないと思うので、今回の記事はパスしていただきたい。なぜなら、今回のブックレヴュー作品の著者は「ゲーム・オブ・スローンズ」の原作者であり、自分にとってジョージRRマーティンはこの映像作品と切り離して考えることができないからである。

 「ゲーム・オブ・スローンズ」は第七シーズンまで視聴済み。とても面白い。面白いから見てみなよと、自分のお気に入りを他人に滅多にお薦めしない私がお薦めする作品だ。途中で執筆が途絶えている原作も読んだが、この作品については映像作品の方が面白かった。
 小説の映画化というと、見てがっかりする場合も多く、それは原作を気に入っているほどその傾向が強い。原作に忠実であれば何も映像化する必要はないと私は感じるし、かけ離れたストーリーなら、小説原作など使わずに、新たに脚本を起こした方が良いと思うのだが。

 さて「ゲーム・オブ・スローンズ」の話題はこれくらいにして、『ナイトフライヤー』である。こちらの作品も映像化されたがNetflixなので私は見ていない。ネットの記事によると、不評のため第二シーズンまでで打ち切りが決まったらしい。

 『ナイトフライヤー』はSF短編集だ。表題作の他に五編が収録されている。表題作にホラーの雰囲気漂うSFを期待して購入した。謎の星間航行船を追跡するために集められたクルーが乗り込んだ宇宙船はどこかおかしかった・・・。

 導入はよい。しかしストーリーが進むにつれ既視感が増してくる。宇宙船の中枢システムが勝手に暴走してクルーを殺害するのは、かのアーサーCクラーク原作のSF金字塔「2001年宇宙の旅」に登場するHAL9000で、数十年前にすでに描かれている。それにエイリアン建造と思われる巨大な宇宙船の正体も、わかってみたら拍子抜けしてしまった。これならやはりアーサーCクラークの「宇宙のランデブー」の方がアイデアが感じられて楽しめた。中途半端なセックスシーンもストーリーに絡んでいないので読んでいて居心地が悪い。

 期待しすぎると失敗する例だったようである。


2019-11-17

小説は妄想でできている。「超妄想コンテスト by エブリスタ」

 小説投稿サイトのエブリスタでは、定期的に様々なコンテストを開催している。そのうちの一つに、定められたお題を基に小説を書くというものがある。
 出題されるお題はいつもワンセンテンスだ。今までの例では「ただいま」とか「またね」や「ありがとう」など、そのお題そのものを文章の中に入れなければならない場合と、そういうシチュエーションを条件付けされるケースの二つのパターンがある。エントリーに必要な文章量は概ね八千字程度までだから、アイデアとストーリーさえ固まれば、こういったコンテストにしては楽なほうだろう。
 これがなかなか面白い。お題から物語を想像し作り上げる。お題のそのシーンが先にあって、そこから物語を創造する。細部から全体へ。



 
 しかし。

 アマチュアといえども(プロもいる)多数のクリエーターが集まっているサイトである。であるから、誰もが考えつくような当たり前のアイデアでは、その他大勢に埋もれてしまう。
 コンテストの冒頭および案内の中に「超妄想」「妄想を膨らませて」とあるのを忘れてはいけないのだ。

 手前味噌だが、私の過去のエントリー例をここでご紹介する。

お題「またね」
→ あらすじ
 主人公のルナは、少女の外見をしたアンドロイド。相棒のベルトランと共に、人間の姿が絶えた惑星の、地下深くに構築された都市から地上を目指す。メンテナンスされずに荒れ果てた地下都市は、暴走したAIや様々な危険が溢れている。ルナのボディは本来なら取り替え可能な仕様なのだが、スペアパーツの入手が困難になっているので、もしも甚大なダメージを受けた際は修復できず再起不能になってしまう。それでも危険を冒して地上を目指すのは、はるか昔、ある人物と交わした約束を果たすためだ。
 その人物とはルナの少女の外見のオリジナルであるパトリシア。年齢は十七歳。彼女には婚約者がおり、三年の星間交易船任務から帰ったら結婚する約束をしていた。
 出発する前、彼は自分がいないあいだ、彼女が寂しい思いをしないように、AIアンドロイド"ルナ"を作り上げ、彼女に与えた。しかし彼は帰ってこなかった。
 パトリシアは何年も彼の帰還を待ち続け、やがて衰弱し病に倒れた。彼女が亡くなる前、妹のように可愛がっていたルナを呼び寄せる。自分が死んだらお願いがある。毎年、彼がプロポーズしてくれた二月十四日に、自分が永遠の眠りにつく場所で、彼のプロポーズの言葉を言ってほしい。宇宙の彼方にいるであろう、彼に会うため長い旅を続ける彼女の心の支えになるようにと。
 ルナは、四百回目の地上への冒険を終え、彼女が眠るドームの前に立った。そして約束の言葉を言い、砂漠が延々と広がる大地に目をやる。そこにはかつて海があった。
 日の出から日没までそこに佇んでいたルナは、パトリシアに別れの言葉をいう。さよならではない。また一年後の同じ日にここへ来るのだから。

「またね。パトリシア」


※※※※※※※※※

 これは小説を書き始めた頃の作品である。お題の「またね」から、人類が死に絶えた惑星一面に広がる砂漠、そこに孤島のようにポツンと残る丘と、その上に立つ墓標に別れを言うアンドロイド(人そっくりのAI)を想像した。
 ライトノベルを意識して書き始めたのだが、元来ラノベに向いていないので途中から文体が変わってしまっている。ルナの一人称で進み、登場人物はルナとベルトラン(鳥の外見のアンドロイド)だけ。人間はルナの記憶の中にしか出てこない。
 当時まだ新鮮だったAIの知識を散りばめ、自分では力を入れたつもりだったが、力みすぎてチグハグな作品となってしまった。主人公はアンドロイドなのにアクションシーンもなく地味だ。SFなのに宇宙船も登場しない。さらに、ファンタジー全盛の今日ではSFというジャンルは不人気で読者がつかない。
 それでも優秀作品に選ばれたのは、アイデアだけは評価されたのだと思っている。


 さて、最新のお題は「光」。
単純だ。単純すぎて難しい。どこまで妄想を膨らませることができるだろう。


2019-11-07

映画レビュー『プリーチャー』




 もしもあなたが敬虔なキリスト教徒なら、見ない方がいい。この記事も読まないことをお勧めする。

     この作品は、正しくは映画ではなく、アメリカで制作された連続テレビドラマである。1シーズン10話構成で第4シーズンをもって完結している。題名のプリーチャーとはキリスト教の牧師のこと。主人公ジェシー・カスター役のドミニク・クーパーは、だから最後まで黒い牧師服しか着ない。
    題名が示すとおり宗教が主要テーマなのだが、この作品を全く知らない人が、そのつもりで見たら、きっとブッ飛ぶだろう。
    確かにキリスト教が主題である。主人公の目的は神に会うこと。だから、神と悪魔、天使やイエス・キリストその人まで登場する。主人公の仲間には吸血鬼だっている。
   しかし、神は天界から現世に逃避中で、後ろに女を乗せたハーレーダビッドソンをかっ飛ばし、悪魔は見た目はいかにもなのだが、あっけなく銃で撃たれて死んでしまったり、その後釜には、ドイツ第三帝国のあの人が就任したり、天使はいつもスーツ姿で・・だいたい主人公の牧師ですらコスチュームはお堅いが、いつもタバコを吹かして酒は飲むし、喧嘩が強くて、薄ら笑いを浮かべながら殴る蹴るの大乱闘をする。その恋人であるチューリップはギャングだったりするのだから、宗教的な厳かな雰囲気は皆無だ。

でもとても面白い。ストーリーがよく出来ている。
原作はアメリカのカルトコミックだという。

    タランティーノ的なダルいアメリカンな雰囲気が好きで、血しぶきスプラッター混じりのギャグを笑える人なら、この作品を大いに楽しめると思う。

くれぐれも、熱心なキリスト教信者は絶対に見ないようにご注意いただきたい。

2019-11-05

ブックレビュー 『怪奇日和』ジョー・ヒル

 
ハーバーbooks

作者のジョー・ヒルは、モダンホラーの巨匠であるスティーブン・キングの息子だ。そのジャンルでは超が付くほど著名な父親と同じ道を歩むにあたって、当然想定される事態がある。それは、父親と比較されるのを避けられないことだ。

 私はキング氏の作品は、新しいものは読んでいないが、現代のアメリカ文化、風俗を織り込んだ作風は、他の作家のホラー一辺倒の作品に比べて文学の香りを感じる。だからキング氏のホラー長編は長くなる傾向があり、私のようにホラーはキュッとまとまっていた方が怖いと考える人間にとっては、それを冗長に感じてしまう。しかし逆に好ましく思う人もいるだろうから、これは好みの問題だろう。

 ジョー・ヒルの作風は父親に似ている。父親の作品よりも、ホラー以外の要素を多く盛り込んである。作品によってはアットホームな雰囲気も漂う。だからあまり怖くない。というより、このジョー・ヒルという作家は、読者を怖がらせようとはあまり思っていないのではないか、と、私は感じる。

 本作は短編集である。短編集にしては結構厚い。それもそのはず、各話は短編にしては長く、中編と言えるかもしれない。冒頭作品のカメラのアイデアは、遺憾ながら平凡に感じた。前の短編集に収録されていた「自発的入院」が発想が変わっていて良かったので、期待したのだが。

2019-11-04

今さら設定がおかしいことに気づく

 もちろん、初めから長編にしようと意気込んで書き始める時もある。しかしそうではなく、思いつきで書いて完結させた短編を、例えば読者の反応が良かったとか、もっと続きを書いてみたいと思ったなどの理由で、物語の設定はほぼそのままいじらずに長編小説へ移行させる場合がある。




 短編のメリット(作者としての)は、精神的な負担が少ないことだ。他の作家は知らない。あくまでも私個人に限ってはの話だ。
 アマチュアなので小説を書くのは本業の傍ら、プライベートの時間を使ってということなのだが、小説ばかり書いているわけにはいかず、他にもいろいろ諸々の日々の用事があったり、仕事の疲れを癒したいとか、いろいろな事情がある。そういう中で十万字以上の長編を書き上げるのはなかなか大変なのだ。

 肝心なのは集中力の持続とモチベーションの維持。それが続かずに執筆途中で中断している長編が私にはいくつかある。物語が再開するのを期待して応援してくれる読者の皆様には申しわけないと思う。(こんなアマチュアでも、ありがたいことにファンの方々が存在するのです)。



 そんなこんなで短編を長編に移行する際に、気をつけなければならない点がいくつがある。その一つは時系列に齟齬はないか。例えば、ある登場人物をこっちでは独身と書いているのに、数ページ後では既婚者にしていたり、過去に起きた出来事の時期がずれていた等々。
 こういった矛盾を、原稿用紙数十枚分書いてから気づくことが結構ある。校正のつもりで自分で物語冒頭から読み返して気づくわけだ。
 単に私がズボラなだけなのかもしれない。でも、プロ作家の出版された小説でもそのようなミスは散見されるからそれほど気にしていない。

気がついたら直せばいいだけのこと。もちろん、書籍化される前に。

 昨日、こちらの「ぶつかる女」の設定に致命的なミスを発見したのだが、誰かに指摘される前にこっそり修正した。

2019-11-03

西洋なる日本美人


 昨日は良く晴れて気持ちの良い日になった。しかし今日は、朝からどんよりした雲が広がっている。午後から雨になるらしい。晴れと雨を繰り返しながら、季節はゆっくり進んでゆく。
 
 西洋朝顔は、日本で古来より栽培されていた朝顔よりも大きく育ち、午後遅い時間まで咲いているのが最も異なる点だ。他には、葉の形が違うとか、咲き始めるのが真夏より遅い時期であり、十月頃から見頃を迎えるとか、生態が少し違う。


 開花時期の違いは長日性。同じ性質の菊と同様、日が短くなり夜が長くなってから咲き始めるから。

 川沿いに建つ家の、あまり手入れされていない庭を取り巻くフェンスを、この西洋朝顔が清楚に彩っていた。「西洋」と冠されていても、白地に薄っすらと青い筋が入る花の風情は、どこか奥ゆかしく、和を感じさせる。




2019-11-02

作家活動再開とご挨拶。

 いろいろな作家の作品を載せた短編集中の一作家に過ぎないとしても、自分が書いた作品を収録した書籍が大手出版社から出版されたのは嬉しい出来事だった。

 仕事をしながら小説を書くことに疲れてしまい、しばらく創作から遠ざかっていたが、これを区切りとして執筆活動を再開した。これからは頑張らずにゆるゆるとやるつもりだ。ブログも小説と同じく、毎日更新するなんて自分の生活スタイルでは無理な相談なので、これも頑張らずにやってみようと思う。

 以前、別のプロバイダでブログを運営していた頃は、毎日更新しなければと記事にするネタもないのに頑張ってしまい、結局、続かなくなり放置してしまった。気が向いた時に気持ちの余裕がある時に気ままに更新すれば良かったのにと、今なら思うのだが仕方がない。

であるので、もしこのブログをこれからも訪れてみようという方がいらしたら、長い目でお付き合いください。